【[読まなくてもいい本]の読書案内】を読んで。

僕たち社会人には時間がない。

 

独身で自分以外の事に時間を使わなくて良い身分でこんな状況だと、家族が、特に子どもができた場合は、1日の中で自分のために使える時間は30分にも満たないのでは、、、と悲観的になってしまう。

 

そんな状況にも関わらず、学ばなければいけないことが僕たちにはたくさんある。それにも関わらず、社会人の僕たちは【僕たちが学ばなければいけないこと】から自分で探して考えていかなければならない。

 

橘玲氏の【「読まなくてもいい本」の読書案内】では、“「知性を鍛えるにはこの本を読みなさい」というアドバイスが溢れている”中で、“知の最先端を効率的に到達する”ために、20世紀半ばからの半世紀で起きた“知のビックバン”以前に書かれた本と以後に書かれた本で分類し、僕たちはまず“ビックバン以後に書かれた本”を読むべきと説く。

そして、このビッグバンの原動力となっているのが、複雑系、進化系、ゲーム理論脳科学であるという。

 

文系でぼんやり過ごしていた僕にとって上の4つの分野がどのような学問なのか、そのさわりすら分からない。本書では、上の4つの学問の基礎知識や成り立ち、さらに知識を体系的に学ぶために各章の終わりに「ブックガイド」が書かれている。

 

どの知識を体系的に学べば良いのか分からない人にとって、本書は大いに役立つと思う。僕も特に興味が湧いた“進化系”から学んで行きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢をかなえるゾウシリーズを読んで

みなさんこんにちは! 今回は「夢をかなえるゾウ」(著者:水野敬也 出版社:ミズノオフィス)を読んだので、感想を話して行きたいと思います。

 

本書は、実業家が主催するパーティーに行ったがために自身の平凡さを痛感し、変わりたいと望む会社員の主人公の前に、大阪弁で話すインドの神様であるガネーシャが、主人公に課題を出し、主人公はそれを解きながら考え・成長していく物語です。

本シリーズは累計で300万部以上売り上げているヒット作です。本作品がここまで多くの人に読まれた要因を下にまとめてみました。

ガネーシャが主人公に出す課題は、実在する偉人達が心がけているもので、僕たちにも実行できるものばかりです。


本書の中で、ガネーシャは主人公に課題を29個出します。もちろん、僕も今日から全てを心がければ良いのですが、怠惰な僕にいきなり全てを実行するのは難しいと感じました。そのため、少しずつ、例えば週に2個ずつ心がける課題を増やしていこうかなと思います。

今回、まずは心がけたいと思った課題と、その課題について言及されている部分の抜粋を紹介します。

 

① 身近にいる一番大事な人を喜ばせる

 「人間ちゅうのは不思議な生き物でな。自分にとってどうでもええ人には気い遣いよるくせに、一番お世話になった人や一番自分を好きでいてくれる人、つまり、自分にとって一番大事な人をぞんざいに扱うんや、たとえば・・・親や」

 

② 応募する

 「世の中に、どんだけぎょうさんの仕事がある思てんねん。しかも、その才能を判断する人、どんだけおる思てんねん。確かに、なかなか自分の才能は見出されんかもしれへん。けどな、それでも可能性を感じるところにどんどん応募したらええねん。そこでもし才能認められたら、人生なんであっちゅう間に変わってまうで」

 

ここだけ読んでも心動かされますよね。

繰り返しになるますが、本書はガネーシャの言葉のチョイスが本当に面白いし、心に留めておきたいと思える言葉に出合えると思います。ぜひ読んでみてください。

 

 

夢をかなえるゾウ

夢をかなえるゾウ

 

 

 

明日クビになっても大丈夫!を読んで 〜会社に依存せず生きていくために必要な考え・ステップ

みなさんこんにちは、デジです。

今回は「明日クビになっても大丈夫!」(著者:ヨッピー 発行所:株式会社幻冬舎

を読んだので、あらすじ・感想について話しをさせていただきます。

 

皆さんはヨッピーさんをご存知ですか?

私は2、3年前にツイッターでヨッピーさんの記事を見て以来、ヨッピーさんのファンなのであります。知らない方はぜひ、ググるツイッターで調べてみてください。面白い記事に出会えると思います。

さて、本書はヨッピーさんの一作目の作品です。題名からだと、「会社員はクソ。副業を今すぐ始めよう!考えずに、今すぐ行動!! フリーランス万歳!!!」的なものなのかなと(私が捻くれ過ぎなのかもしれませんが)思いましたが、読んでみると凄く実用的で、安直に会社を辞めるように促すのではなく、「このラインに達するまでは、会社に属しながら副業をやってみたら」といったものでした。

 

ヨッピーさんは、副業は「なりたいもの」ではなくて、「したい事」をベースに考える事、「したい事」が見つかったら、それを「消費する趣味」で終わらせるのではなく、「生産する趣味」にしようと話します。

「消費する趣味」とは、その趣味を通じてお金が稼げるようになる可能性がなく、新しい人と知り合う可能性がないもののことで、「生産する趣味」とは、その趣味を通じてお金が稼げるようになる可能性がある、もしくは新しい人と知り合う可能性があるもの、の事です。」そのため、自分の好きな事をブログや記事に起こして発信するだけでも、それまで「消費する趣味」だったものも、「生産する趣味」とヨッピーさんは言います。

まずは、世に向けて情報を発信していくことが大切です。積極的に情報を発信することにより、反応が返ってきて、それによりさらに自身が発信する情報の鮮度が上がっていき、さらに発信していくことで・・・と正のフィードバックが回っていきます。

ヨッピーさんは情報を発信し続けることの意義について、次のように話しています。

 

情報は発信する場所に集まってくる

 

僕が趣味である読書をブログで発信しようと思えたのも、ヨッピーさんのこの言葉に出会えたからです。まずは自分が好きな読書について発信をしていく中で、試行錯誤し、皆さんに喜んでもらえるような文章を書けるようになりたいと思った次第です。

本著はこの他にも多くの有用な情報が読みやすい文章で書かれています。今のやっている仕事以外にも何か始めなければいけないのは分かっているけど、何から手を付けたら良いか分からないという人は、ぜひ読んでみる事をオススメします。

 

※ちなみに

本著の紹介ではありませんが、ヨッピーさんが推奨する、“交互浴”を体験したので、その感想も話したいと思います。

ヨッピーさんは銭湯をメチャクチャ愛する人でして、全人類が銭湯に通う事で「戦争が全部終わる」と確信するほど(その他にも銭湯による効果を話していますが、割愛しております)です。そして、それらの効果を得られる入浴方法が“交互浴”なのです。

ちなみに、交互浴とは、熱い湯船と冷たい水風呂に交互に入ることです。

 

さて、交互浴の効果をより鮮明に感じるには、疲労が溜まっている方が良いと考えた私、前日は22時過ぎまで仕事をし精神的な疲労をため、翌朝にサッカーをしてお尻と太ももをパンパンにし、銭湯への最高のコンディションを整えました。

実際にやってみてですが、最初は水風呂がデタラメにきついですね。足首まで入れるのに悪戦苦闘していた僕と引き換え、サウナ上がりのおじさん達がバシャバシャ全身を水風呂に浸していくのを見ていると、水風呂の険しさを感じざるを得なかったです。

そんなこんなで水風呂に何とか浸かり、温かい湯船に逃げ込むという作業を4回ほど繰り返す内に、身体と意識が“バシッと”決まる感覚がしてくるのです。水風呂への努力が報われた瞬間でした。

水風呂で身体を締めた状態で風呂から上がりましたが、身体の内側は暖かく、心身の疲労もかなり軽減されていました。交互浴、かなりオススメです。

 

今回紹介した本以外にも、ネットで面白い記事を数多く書いているので、ぜひ読んでみてください。

 

明日クビになっても大丈夫! (幻冬舎単行本)

明日クビになっても大丈夫! (幻冬舎単行本)

 

 

村上春樹、河合隼雄に会いにいくを読んで 

僕は村上春樹が書く小説が好きだ。

初めて手に取ったのは、確か高校生の時だったと思う。その時は、面白いとは思えず、もっと言うと読解することすらできなかった。ただ「自分がもっと成熟していく中で村上春樹の小説を面白いと感じる時が来る」という感覚ははっきり掴んだ。そのため、古本屋に行き出ていた村上春樹の小説を全て買い、2、3年周期に一度、読み直すようにしている。今では、少なくとも“面白い”と感じられるようにはなってきた。

村上春樹の小説を読むと、掃除や料理をしたくなったり美味しい珈琲飲みたくなる。また、泳ぎに行きたくなったり(実際に村上春樹の小説の影響で、水泳は僕の趣味となった)恋人や友人を大切にしよう、と思える。

僕に取って村上春樹の小説を読むことは、ダイレクトに実生活に影響を及ぼすことであるし、また、水面下でも僕の生活に影響を与えていることでもあると思う。

 

本著は、ねじまき鳥クロニクルが書かれた後に(1995年)、村上春樹と臨床心理学者の河合隼雄が日本で話しをした時の会話がベースとなっているものである。対話の中で、「物語について」「他者との共生について」「身体制について」「過去(個人というよりもも、人類が抱えているスケール感のもの)」について話しをしている。

僕は尊敬する小説家である村上春樹が、物語をどのように考えているかについて、強い関心を抱いていたため、本書を大変面白く読ませてもらうことができた。

村上春樹は、自身の著書と自分の関係性について、以下のように話している。

 

ただ、ぼくが『ねじまき鳥クロニクル』に関して感ずるのは、何がどういう意味を持っているのかということが、自分でもまったくわからないということなのです。これまで書いてきたどの小説にもまして、わからない。

(中略)

たとえば、どうしてこういう行動が出てくるのか、それがどういう意味を持っているのかということが、書いている本人にもわからない。

(「村上春樹河合隼雄に会いにいく p132から引用」)

 

村上春樹の小説を読んでいて感じるのは、「この先何が起こるか分からない」といった感覚である。それは、内容が突飛であるといったことではなく、物語が作者のコントロール下から離れたところにいるような、登場人物達が独立した一個体として意思を持ち、動いているな感覚である。

本著は、村上春樹の小説が好きな人はもちろん、小説を読むことが好きな人にとっても、物語や物語を書いている時の作者の身体や内面について、その一端に触れることができるため、強くおすすめしたい。

 

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

 

 

目的論という生き方

今回は、「嫌われる勇気」が大変面白かったため、本文の中で特に面白いと思った考え方を紹介したい。

 

突然だが、原因論と目的論という言葉をご存知だろうか?

僕は「嫌われる勇気」の中で初めて目にした言葉であった。言葉を知らなくても、僕を含めおそらく大部分の人が、この原因論で言われている生き方をしていると思う。

 

原因論について、本文に書かれている例を参考にしながら紹介する。

例えば、現在引きこもり中の人がいるとする。原因論は、この人が引きこもりになったのには、何か原因(いじめ、両親とのトラブル等々)があった結果であるとする考え方である。つまり、現在起こっている現象には、何かしらの前段があり、その結果としての“今”があるとの考え方である。

非常に分かりやすい考え方であるし、僕たちが普段慣れ親しんだ考え方である。しかし、原因論には、いくつかのピットフォールが存在するという。

例えば、「僕たちが思い出すことのできる僕たちの記憶」は、僕たちが思っているほどあてにならないということだ。

僕たちは自分の現状を正当化させるような面を優先的に思い出すし、逆に自分たちに都合の悪い面は思い出さない・思い出しにくいようになっている。先の例で言えば、引きこもっている方は、自身が引きこもらざるを得なくなったと考えることのできる出来事を優先的に思い出すこととなる。(引きこもりは全て自分のせいであるとするつもりはないこと、引きこもりの方は自分を正当化する傾向がある考えている訳ではないことには注意していただきたい。)

 

次は、目的論について説明をさせてただく。

先の現在引きこもり状態の方を例に、目的論について、本文では以下のような説明がされている。

「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。(「嫌われる勇気」から引用)

 

「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショックーーーいわゆるトラウマーーーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。」(「嫌われる勇気」から引用)

つまり、私たちが置かれている現状について、それは何か原因があったからではなく、意識的にしろ、無意識にしろ、自らが何らかの“目的”を達成するために選択をしたためであると考える。

 

突然だが、ここで少しだけ僕の話をしたい。

僕は地元の進学校に通っていたが、勉強はあまり出来の良い方ではなかった。その頃、周りの出来良いクラスメイトと自分の差を直視せず、「あいつらは元々頭の良さが違うから」とか「良い塾に通っているから」等々言い訳ばかり考えていた。思えば、その頃から、“敗者のメンタリティー”を熟成させていったのだと思う。

 また、最近の話しだが、SNSを見れば成功者達があふれ、自分の凡庸さに打ちひしがれており、たまに高校時代の友達と会えば、開ききった差に愕然とし、盛りに盛った自分の最近の出来事を話し、なけなしのプライドを守っているような状態である。

そして、「まぁあいつらは元々の頭が良いだけだから」と高校時代から何も変わらない事を考えている。

 

「嫌われる勇気」には、そんな僕読むと心が痛くなるような言葉の数々が書いてあった。気に入った文章の中から、少しだけ紹介をしたい。

 

たとえば先ほど、あなたは「もしもYのような人間になれたら、幸せになれる」といいました。そうやって「もしも何々だったら」と可能性のなかに生きているうちは、変わることなどできません。(「嫌われる勇気」から引用)

 

過去がすべてを決定し、過去が変えられないのであれば、今日を生きるわれわれは人生に対してなんら有効な手立てを打てなくなってしまう。(「嫌われる勇気」から引用)

  

 どこかで聞いた言葉だが、「人はあきらめる理由を語りたがる」生き物らしい。凄く納得のいく言葉だ。

本著を読んで行くと、僕が今の僕であるのは、僕がこれまで選択して行った結果であり、他の誰か・何かの責任ではないこと、これからの人生においても、自分の目的・選択を自覚することでしか、自分の人生を転がすことができないということを、考えさせられる。

漠然とでも、何かを変えたいと思う人は、本著がおすすめである。今日紹介したこと以外にも、「対人関係について」「課題の分離について」など、考えさせられるトピックが載っている。

 

※「嫌われる勇気」のオススメの読み方は、“でも”・“だって”と考えず、哲人の言葉を一回お腹の中に入れちゃうことだと思います。 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを書くことにあたって。

今回、ブログを書くこととしました。デジです。

簡単ではありますが、僕の自己紹介を。

僕は、社会人2年目の24歳、地方国公立大を出て、そのまま地方で就職した、平々凡々の男です。

僕の唯一の特技は読書です。(読書を特技といって良いのかは分かりせんが。)

特別速読ができるという訳ではないですが、数分でも時間があれば本を読みたくなりますし、それなりに多くのジャンルの本に関心を持つことができていると思っています。

 そんな僕ですが、これまで多くの文章に癒されたり、鼓舞されたり、考えさせられたり等々、本から色々なものを与えられた、と思っています。

そのため、僕は、読書は素晴らしいものだと思っていますし、これからも思い続けていくんだろうと思っています。

今回、ブログを始めたのは、僕が読んで「面白いな」と思った本をブログを通して伝えることで、読書の魅力を伝えられたらと思ったのがきっかけです。

基本的なスタンスとしては、「面白い」と思ったものを紹介するものですから、批評をするつもりはないです。

皆様には、読書好きが気に入った本の紹介・感想をツラツラと話していると思っていただけると幸いです。

これから、よろしくお願いします。